隣に座ってあなたとわたし
名前のついてる関係性、
実はあんまり得意じゃない。
恋人、友達、親友、親子
名前のついてる関係、についての話で
その関係を結んでいる相手(ひと)は好きだし
相手から大事にされるのもうれしいし
相手から、名前のついた関係性で愛でられるのもうれしい
わかりやすいので、自分もその関係の名称で、相手を大事にすることもある
ただ苦手、不得意
もちろん
仕事仲間には関係性の名前が必要だと思う
発注、受注
同僚、先輩、上司
何か目的をもって
その目的を理由に一緒にいる人たちには
名前をつけた方がスムーズだ
決まった関係性のため
人間的に好き・嫌いはさておいて、目的のために一緒にいることができる
それが相手のことも、自分のことも、守る手立てになる
それ以外の関係について関係性に名前をつけると、
わたしの場合は「こうあらねばならない」みたいなヤツが、意識の端っこから、ゆらゆらやんわり踊りながら近づいてくる
無視できない、頭の端っこの方で主張してくる
「〇〇なら、普通こうだよね」
「△△ならこうあるべき」
ぽそぽそっと囁きながら目立つ動きをしてくる
ソイツはきっとわたしの中に育っている理想的な何かだったり、漠然とした願い的な、幻想的なサムシングなんだと思うのだけど
ときにソイツは
自分の理想と違ったカタチだったりレスポンスをもらったときに
果てしない、理由のわからない悲しみを発生させる
ちょうど、低気圧でもないのになんだか悲しい日みたいなあの感じ
胸に手を当てて、自分の心を探ってみるけどなんだか掴めないモヤモヤした薄暗いものが発生しているだけで、そのモヤモヤも掴みきれないしそれがどこからきているのかもわからない
相手に、されたこと自体が悲しいでもなく
相手に怒っている、わけでもないのに
現実ではないような、薄い壁の向こうに自分が勝手に抱いている幻想的な何かと
目の前の人との関係性を比べて、その違いに悲しくなっているような
そんな気がする
個人対個人の関係のカタチは
本当は、基本的には2人の間の分だけ様々あると思う
いろんなカタチの
恋人、友達、親友、親子
良き関係
というのはあるかもしれないし
悪き関係
もあるとは思う
ただ、実際のところ点と点、わたしとあなた、の2点を繋ぐつながり方はめちゃくちゃ沢山あって、そんなに定型に収束しない気がする
わたしとあなた
わたしがどう願っていても、その関係は定まらない
あなたがわたしにどう思って、どうするか
わたしがあなたにどう思って、どうするか
その積み重ねがやんわり、あんまり名前をつけ難いカタチのなにか、になる
多分、あえて名前をつけるなら
恋人、友達、親友、親子
そういうなにかになるんだろうけど
正確に指し示すなら、ほんとうは定型ではない
わたしとあなたのいい関係
っていう感じだ
関係性の名前は便利だ
迷ったときの選択がしやすかったりする
でもできるだけ
型にハマらず、あなたとわたし
人間同士、として、いられたらなぁと思う