やみよのつぶて

セルフハグ的文章を書きます。

パウエルズ・バイ・パウエルズ

アメリカの人気書店「パウエルズ・シティー・オブ・ブックス」が出した、書店の香りがする香水の名前

その書店は全然存じ上げないけれど、書物の迷宮や秘密の書庫、古代の巻物、哲人王ががぶ飲みしたコニャックを思い起こさせるとしているらしい。

哲学王ってなんだ。コニャックと哲学王について調べたけれどよくわからなかった。

 

本屋さんの匂いは、どこか落ち着く。

インクと紙の匂いなのか、いついっても変わらない同じ匂いがする。どこの本屋さんも、なんとなく似た匂い。せっかくなので落ち着いて、本を眺めるということをしようという気持ちになる。

 

わたしが長らく住んでいる街には、大きい本屋さんがある。

わたしはそこを

たいていの人が欲する、たいていの本が揃っている場所だと思っている。

王様のブランチで紹介されるような受賞作品も話題作も平積みにされていて、

またそうでない文化や単行本も、俗っぽい特集本も、赤本や専門書も、たくさんある。

返本できない岩波文庫だって、赤青緑、1棚分ある。

 

もちろんビルが丸ひとつ本屋さんになっているような店舗に比べると、ジャンルによっては心許ない品揃えのものもあるけれど、

大きい出版社から出ている漫画の新刊なら大抵買えるし、MOOK本やら絵本も、きちんとコーナーがある。

中学生のころはここで毎月二回、花とゆめを買っていたし、新刊が出ると決まって同じコーナーからその本を探し出していた。

高校時代の単語帳もここで買ったし

大学の課題の本もずっとここ。

 

歩いていて楽しい本屋さんのなかで

蔦屋書店以外の本屋さんがどんどん減っているなと思う。

偏見かもしれないけど、蔦屋書店は、本屋さんというか本屋アミューズメントパークみたいにして作られた場所に思うので、楽しいけれども、自分のなかでは別のカテゴリーにいる。

 

本屋さんの棚を、ふんわり眺めて

見聞きしたことはあるけれども読んだことのない本に手を伸ばし、好ましいところをなんとなく開いて数頁だけ読んで、今読みたいなと思えたらレジに持ってゆく。

そこそこ頭の容量に空きがないと

できなかったりするので、私の中ではけっこう贅沢な事柄だ。

 

紙の本を手に入れるたのしみと、それをカバンに入れて、電車の中で開くたのしみ。

活字を読める量と早さが

そんなに耐久がないのですこしずつ読み進めることにはなるのだけれど、本を持ち歩くのは好きだ。

 

読みたい本をAmazonですぐに届けてくれるのはありがたいし

ぼんやりしているとその便利に頼ってしまう。

本屋さんの棚から手に取って、レジで「カバーはお願いします。あ、袋は要らないです」とやるたのしみが、だんだん当たり前のものではなくなっていたのだな。と思う。

 

レジをしてくれたお姉さんの胸についていた

「店舗にない本、取り寄せます」のポップに

手元に置きたい本ならば、この店舗で取り寄せて、きちんとこの本屋さんの存続に貢献せねばな。と思ったりした。

油断して、大切なものを大切にしそびれていると、いつのまにかなくなってしまったりする。

そして

それまで、その存続に対して何もしていないと

その喪失感に、自分が耐えられなかったりする。

 

この本屋のない、この街はきっととてもさみしい。

 

今日は、

石井桃子さんのくまのプーさん

谷崎潤一郎の刺青を買った

 

開いてめくった数頁の温度感も何もかも

全部が違う2冊だなと思った。愉快だ。

 

くまのプーさんは、江國香織さんのエッセイを読んでいたらでてきて、気になったので棚に向かってみたらそれが少年文庫の棚にあって(そこに並んでいた「ナルニア国物語」や「星の王子様」には小学校のころにとても心を慰めてもらったのでテンションが上がってしまった)

なんだかとてもいい出会いをした気がしたので、今。読めたら楽しいなと思って買った。

 

刺青は、先日友人の家でそれを読む機会があって(絵本のような、刺青の文面と一緒にイラストが描いてあるものだった)

出だしの『其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった。』という時代説明に心が揺れたので購入した。

谷崎潤一郎に対しては、多分わたしは偏見しか持っていないので、読むのがたのしみだ。

 

一冊本を読み終えたあとのわたしは

なんだか新しいわたしのような気がする。

たぶん、あんまり本を読めていないからだと思うけれど

一冊読み切るということをとても誇らしいことのように思っている。

 

まずは

太宰治人間失格を呼んでいる最中なので、

今日買った二冊は、人間失格を読んだわたし、になったあとの私が読むことになる。

 

いつになることやらだけど、

その二冊を読み終わったわたしをふわふわと想像しながら、買った本をカゴに入れて、帰路に着くため自転車の鍵を開けた。